当事者とか第三者とか、主観とか客観とか・・・

将棋や囲碁などAIとの勝負でAIが勝つのって、

今までの実績を分析し最も確率が高い手を打つから。

 

でも人間の場合は、

その時々の「勘」というか、

「こうなったらいいなぁ」とか「相手はここに気づいていないだろうから・・・」とか、

もはや分析というより、最終的には「勘」というか、時には希望的観測みたいなもので動いてしまう。

 

このせいで、良い時も当然あるが、やはり浮き沈みが出てしまう。

 

これって人間は人間なわけで、

それはそれで人間らしくて良いと思うのですが・・・( ^^)

 

 

「第三者」とか「客観」とか・・・

よく聞くし、よく言ったりもする言葉。

 

最近これについて考えることがよくあるんです。

 

対人生活の中で・・・というか、

親子間だったり、上司と部下だったり、友人間だったり・・・

 

「お前のこういうところがダメなんだよ」みたいな言葉、

よくありますよね。

 

自分がこれを言われたときに思うのは、

 

これ、言われた側が「確かにそれはその通りだ」って思えたときには客観的に自分を分析し、自分のために第三者が言ってくれた言葉なんだって思えるんですよね。

でも、その言われた言葉が納得のいかない言葉だったりすると「それはあなたの主観でしょ?」ってなっちゃう。

 

こうやって自分に都合がいい時と悪い時とで、第三者と当事者がごちゃごちゃになって、主観と客観わからなくなる。。。

 

 

「それはあなたの主観でしょ」ってプリプリしてしまった気持ちこそが自分の主観そのものなわけで、

相手が言ってくれた言葉は、あくまでも自分にとっては客観なんだよね。

(ときには本当にあなたの主観でしょっていう場合もあるけど・・・)

 

日常の中で、いつも俯瞰的にドローン的目線で自分を見れたら。

 

AIのように客観的に過去の実績を分析して的確な判断で動けたら・・・

 

人間だから自分の主観で生きていくしかないんだろうけど、

この自分の主観をちょろっと減らして、減らした分に客観をちょっとプラスして・・・

そんな風に生きたほうが断然幸せな生活になっていくんだろうなぁと^^

 

今年の目標にこれもプラスしておこう”(-“”-)”